わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

雑記、日記

部屋で寝ていたら、「このまま寝てたら明日以降考え事を口実に予備校を休むのを許さないよ云々」というやうなことが夢の彼方から聞こえてきて、現実世界ひいては夢想世界における生存権を脅かされた私は一時的に現実世界に復帰せざるを得ず、したがって(?…

実験的平和主義の構想

今日(も)、お茶の水の街頭で反戦演説が行われていた。行くあてのない身だったのでしばらく立ち止まってぼんやり聞いていたが、実に大量の人びとが行き来するのに耳を傾ける人はだれもいない。演説の内容もやり方もつまらないのだから、無理なからぬことで…

親愛ならざる論理教信者に告ぐ(対論理 第一回)

今回は物々しいタイトルだが、内容はそれほど物々しくないよ。 論理とは、人類が共通して持つ「筋道」であると言われている。論理的に正しいことは、論理的に考えれば誰もが正しいと思うし、逆もまた然り、ということである。その「筋道」は誰もが辿れる一筋…

ニヒリズム関連の文章について

ニヒリズム関連の文章は、新しくサイトを作り、そちらに集積することに致しました。 ニヒリズムにまつわる研究云々 今後はこちらに投稿し、ここにはニヒリズム関連の記事は書かないつもりなので、よろしくお願いします。なお、これまで公開していた記事は削…

ニヒリズムの表明 その2~日本の、私のニヒリズム~

「私の個人主義」っぽくしたかったが、どうにもうまくいかないのである。それはともかく、本題に入ろう。 前回、ニヒリズムとはなにか、というようなことをつらつら書いた。ニヒリズムとは「一切皆無」であり、既存の枠組みの否定であり、自堕落や頽廃ややけ…

ニヒリズムの表明 その1~ニヒリズムとは何か~

僕は、主張として一応ニヒリズムを掲げている。しかし、そういえば、その実態や、詳しい内容についてはあまり他人にしゃべっていなかった。まあ主張というより考えるクセのようなもので、曲を作る時にも文章を書く時にも(それこそ今だって)そこはかとなく…

幻想小説「現状」 第六話

水槽に身を沈めていて、ふと脇の方を見やると、いつのまにやら脇毛がけっこう生えていた。かつては、両脇に一本ずつ、ぴょいとやる気なく生えていて、あとは産毛程度だったにも関わらず。まあ脇毛の話はどうでもよいのだが、今年も誕生日が近い。誕生日を、…

幻想小説「現状」 第五話

僕は人造人間なのではないか、と、水槽に身を沈めながら僕は思っていた。 もちろん、自分がサイボーグであるとか、そういった類の主張ではない。もしそうなら、現にこうして水槽に浸かってなどいられないはずだし。 そうではなく、人造人間である。つまり、…

もし時代が違えば、自分はオウムに入信していたか、あるいは。

オウムの二時間ドキュメンタリーを見て以来、かねてより気にかかっていたオウムについて、いろいろ調べてみている。元信者の懺悔録などが数多く残っており、今のところ材料には事欠かない。といっても、興味があるのはオウムをなぜ信者は信じてしまったのか…

幻想小説「現状」 第四話

これは今日は寝られないな、と、一日一回入る水槽に身を浸しながら僕は思った。 そもそも人間はそんなバラエティ豊かな水槽の入り方などするはずがない。せいぜいが入浴剤で気分を変えるか、時折バラだの泡だの浮かべてみたりするくらいで、そんな風流な習慣…

幻想小説「現状」 第三話

毎日のように水槽に入っていると、たまに、無性に、波を立てたくなるときがある。 それは小さな波ではなく、大きな、身体を揺らして作る類の、あるいは小学校でみんなしてプールを同じ方向にぐるぐる回り作りだすような、身体の持って行かれそうなほどの大き…

幻想小説「現状」 第二話

インターネットで向井秀徳という人物の動画を漁って、明日になって、風呂に入り、気持ちよさそうに酔っぱらっている人を見ると、私も酒を飲みたい、と切に思うのであるが、私は規律を重んじる人間なのではたちを越えるまでは飲酒などせん、規律の恐ろしいと…

幻想小説「現状」 第一話

非常にがっくし来ている、と、泡をぶくぶくやりながら僕は思った。 一日に一回入る水槽の中に身を沈めて、今日は乳白色に水色を混ぜたような色だ、草津の湯、らしい、遠い群馬の地を思いやりながら、ニューヨーク。自分の身体はその色に隠されてみえないが、…

震災追悼式宮城県遺族代表・菅原彩加氏にまつわる違和感

いつのまにやら、この女性について、様々な疑惑、批判などが飛び交っているらしい。 僕はテレビで流れていたらしい当のスピーチをリアルタイムで見ていたわけではないが、ネットがどうも騒がしいので顛末を知ることとなった。 主に槍玉に挙げられているのが…

軽い書き物(3) ~重い書き物(3)の前座というか準備~

欺瞞がとにかく大嫌いなのである。それはトラウマ的恐怖にも似た感覚である。いったい僕の幼少期に何があったというのだろうか。 人々は「」を有していて、『』(=社会の枠組み)に近づけるのが大人になるということかもしれない。社会に限らず、なんらかの…

重い書き物(4)

前回「影響欲」についての話を振って終わってしまったが、今のところとくに見解はない。且つ、僕の中にそのような欲が強くあるとも思われない。あるとすれば、他人を自分に近づけて、自分の居心地を少しでもマシにしようという儚い努力であって、それをせん…

重い書き物(3)

生きている以上、どうしようもないことというのは必ずあるらしい。幼児的全能感という言葉がある通り、幼いころは「何事も自分の思い通りにできる」という錯覚を抱きがちであるそうだ。それが、大人びるにつれて、「どうにもならない、どうにもできない」と…

卒業に至りてバカをやらかす

この期に及んでバカをやらかす バカをやらかしてしまった。卒業文集には「たる砂漠 ほか3編」とある。つまり、文章塊が4つばかし載っていなくてはならないのだが、3つしか載っていない。つまるところ「ほか」と「全」の使い分けをうっかり間違えたのであ…

東京大空襲の日にあたって、戦争教育について

東京大空襲の日だということで、朝日新聞の天声人語にも、例によってそれらしいことが書いてある。 朝食(昼食?)を食べながらそれをぼんやり眺めていたのだが、案の定それは「感情的な」「民衆の視点に立った」ものでしかない。 個人的に、論理も感覚のひ…

期末最終日に向けて② (明日のテーマは「なんのための哲学だ!」です)

(転載時注:このとき、私は人前でちょっとしたお話をする機会を得、それが明日に迫っていたのに、突然気がついたのであった) ということで、私はなんの準備もしていないのである。別になにか具体的方便を用意するつもりはさらさらなかったのであるが、頭の…

指導者について

子供は、真似をして学ぶという。 いま、全き人格を持たない、不完全な指導者がいたとしよう。 彼は、あるがままでいるべきか、偽って全き人格者のふりをすべきか。 前者であれば、子供はその不完全なところを真似してしまう可能性がある。後者であれば、「偽…

あんまり通じない冗談の話

私は平時あまり喋る方ではないが、それでも冗談を言うことがある。しかし、たいていあまり通じない冗談がある。「あえて字面通り受け取る」というやつだ。 たとえば、久方ぶりに親戚に会う。「あらおーきくなりましたこと」と言われる。勿論「こんなにセイチ…

被・洗脳

洗脳は他人事ではない。 自分がいったいどのような洗脳を為されているか、思いを馳せてみるとよい。 2014 8 3

氷水をおっ被るの件

ALSという病気の支援のため、氷水を被ったり寄付をしたりするのが流行っているらしい。ALSという病気は奇しくも(?)NHKの特集で知っていたのだが、最近そんなにメジャーになっているとは知らなかった。ともあれ、治療法のない光明のない状態から、少しでも…

オリジナルバンドの効用

ツイッターの方にもちょろっと書いたが、今年は、言わば「オリジナルバンドの春」であった。オーディションにてオリジナルを演るバンドが2位、3位、6位といずれも高評価を受けた影響で、来年はさらにオリジナルを演るバンドが増えるのではないか、という…

ニヒルの山の動画

ニヒルの山 リハーサル - YouTube かつて、「ニヒルの山」というライブをやった。これは、そのリハーサルの様子である。 講釈はyoutubeの方にぐちぐち垂れているので、まあそれ含め良かったら見てってくださいな。以前フェイスブックに書いていた小説版「ニ…

平和を考える

いささか時候はずれの感はあるが、平和について考えてみたい。 平和のありがたさは世の人の知るところである。戦で武功を立てたいというような「もののふ」もさすがに近頃は姿を消しただろう。誰も戦は望んでいない。 時に、ネットでは「右傾化」と呼ばれる…

かさぶたのような

http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/ 開成の海外留学のグループ(?)でシェアされていたものを貼り付ける。 書き手は校長という立場にあるから、僕の言うことは甚だ御門違いかもしれないが、少し黙っていられないのか、と思う。 震災直後、卒業式が…

偽小4事件について

「平和ボケ」に対する若者の危機感は、どの時代でもやや的外れな闘争を形作ってきた。古くは安保闘争から、学生運動、日本赤軍など数知れず。規模はさっぱりとはいえ、これもその一つに加えてもよいかもしれない。 「平和ボケ」している人々、すなわち平和の…

重い書き物(2.2)~脇道の続き。イスラム国関連、その他~

①自己責任。ただでさえ意味の捉えにくい言葉だが、あの2人を否定的に捉える文脈で使われる時のような用法の時、この言葉には少し新たなニュアンスが加わる。 自己責任である、という表現の言い表したいところとは、結局、勝手な個人の信念で行動し国民全体…