わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

2015-02-01から1ヶ月間の記事一覧

期末最終日に向けて② (明日のテーマは「なんのための哲学だ!」です)

(転載時注:このとき、私は人前でちょっとしたお話をする機会を得、それが明日に迫っていたのに、突然気がついたのであった) ということで、私はなんの準備もしていないのである。別になにか具体的方便を用意するつもりはさらさらなかったのであるが、頭の…

指導者について

子供は、真似をして学ぶという。 いま、全き人格を持たない、不完全な指導者がいたとしよう。 彼は、あるがままでいるべきか、偽って全き人格者のふりをすべきか。 前者であれば、子供はその不完全なところを真似してしまう可能性がある。後者であれば、「偽…

あんまり通じない冗談の話

私は平時あまり喋る方ではないが、それでも冗談を言うことがある。しかし、たいていあまり通じない冗談がある。「あえて字面通り受け取る」というやつだ。 たとえば、久方ぶりに親戚に会う。「あらおーきくなりましたこと」と言われる。勿論「こんなにセイチ…

被・洗脳

洗脳は他人事ではない。 自分がいったいどのような洗脳を為されているか、思いを馳せてみるとよい。 2014 8 3

氷水をおっ被るの件

ALSという病気の支援のため、氷水を被ったり寄付をしたりするのが流行っているらしい。ALSという病気は奇しくも(?)NHKの特集で知っていたのだが、最近そんなにメジャーになっているとは知らなかった。ともあれ、治療法のない光明のない状態から、少しでも…

オリジナルバンドの効用

ツイッターの方にもちょろっと書いたが、今年は、言わば「オリジナルバンドの春」であった。オーディションにてオリジナルを演るバンドが2位、3位、6位といずれも高評価を受けた影響で、来年はさらにオリジナルを演るバンドが増えるのではないか、という…

ニヒルの山の動画

ニヒルの山 リハーサル - YouTube かつて、「ニヒルの山」というライブをやった。これは、そのリハーサルの様子である。 講釈はyoutubeの方にぐちぐち垂れているので、まあそれ含め良かったら見てってくださいな。以前フェイスブックに書いていた小説版「ニ…

平和を考える

いささか時候はずれの感はあるが、平和について考えてみたい。 平和のありがたさは世の人の知るところである。戦で武功を立てたいというような「もののふ」もさすがに近頃は姿を消しただろう。誰も戦は望んでいない。 時に、ネットでは「右傾化」と呼ばれる…

かさぶたのような

http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/ 開成の海外留学のグループ(?)でシェアされていたものを貼り付ける。 書き手は校長という立場にあるから、僕の言うことは甚だ御門違いかもしれないが、少し黙っていられないのか、と思う。 震災直後、卒業式が…

偽小4事件について

「平和ボケ」に対する若者の危機感は、どの時代でもやや的外れな闘争を形作ってきた。古くは安保闘争から、学生運動、日本赤軍など数知れず。規模はさっぱりとはいえ、これもその一つに加えてもよいかもしれない。 「平和ボケ」している人々、すなわち平和の…

重い書き物(2.2)~脇道の続き。イスラム国関連、その他~

①自己責任。ただでさえ意味の捉えにくい言葉だが、あの2人を否定的に捉える文脈で使われる時のような用法の時、この言葉には少し新たなニュアンスが加わる。 自己責任である、という表現の言い表したいところとは、結局、勝手な個人の信念で行動し国民全体…

軽い書き物(2)

18ももうすぐ終わろうとしていて、まあといっても19になるだけなのだが、せいぜい年相応には、人生というものを考えてみたりもする。 も、というか、最近はそればかりだ。考え事は現実で生活する時間を奪う(無論勉強も含めて)。自堕落と考え事に現実の全て…

夢の旅人 第一回

(受験に身の入っていない身として、思想およびイメージを表明することは社会的責任の一端であるかと思い。思想は軽い書き物、重い書き物シリーズで書いているので、こちらではイメージを書き連ねようかと。それじゃ。) こういうのも悪くない、とも思ってい…

重い書き物(2.1)~ちょっと脇道に~

ツイッターにつらつらと垂れ流してしまったけど、ひとまとめにしておいてもよい文章かと思ったので、加筆・訂正を加えて書いてみます。 自分が何に悄然としているのかよくよく考察すべきだ、と思う。 僕は、同じ日本人が殺されたことへの哀しみでなく、単に…

重い書き物(2)

先日のようなことを、そもそも僕はなぜ考え始めたのだろうか。 僕は、他人に対してえも言われぬ嫌悪感を感じることがある。そして、それは自分に対しても同様であった。 それは何かと言うと、その人の行為や発言がある「善の感覚」に彩られているときである…

重い書き物(1)

『』に対する闘争、ということをずーーっと考えている。 『』とは個々の「」の重なり合ったもの、そして、「」とは個々がそれを通して現実を認識しているものである。そうして認識されたものが「現実」である。 社会とは、多数の人間の生活する時空のことで…

軽い書き物

どうにもズレている人がいる、とは我が母の弁。ズレている人間は、どうにも集団の中で生きづらく、浮いたり沈んだりしている。 自分も、ズレている人間のひとりだと思っている(それを自称する気持ち悪さを感じつつ)。 ズレている人間は、浮力に逆らったり…

他人への寛容というのは、宗教の本質ではなくて、まあ言えたとして「日本仏教の本質」または「平和の本質」では?民族的な団結の証である宗教は、民族の交流する、つまり対立する可能性のある場所においては必然排他性を持つわけだし。試してみる価値のある…

うるとら雑記雑らとるう

新年明けましてご愁傷さまでございます。門松は、冥土の旅の一里塚。本年も張り切って参りましょう。 さて、新年テンションも尽きた。ここのところ黙って曲ばかりアップしていたのでとうとう気でも狂ったかと思われて、ないか。誰も特に気にしちゃいないだろ…