わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

書き物~論説(2015)

重い書き物(3)

生きている以上、どうしようもないことというのは必ずあるらしい。幼児的全能感という言葉がある通り、幼いころは「何事も自分の思い通りにできる」という錯覚を抱きがちであるそうだ。それが、大人びるにつれて、「どうにもならない、どうにもできない」と…

卒業に至りてバカをやらかす

この期に及んでバカをやらかす バカをやらかしてしまった。卒業文集には「たる砂漠 ほか3編」とある。つまり、文章塊が4つばかし載っていなくてはならないのだが、3つしか載っていない。つまるところ「ほか」と「全」の使い分けをうっかり間違えたのであ…

東京大空襲の日にあたって、戦争教育について

東京大空襲の日だということで、朝日新聞の天声人語にも、例によってそれらしいことが書いてある。 朝食(昼食?)を食べながらそれをぼんやり眺めていたのだが、案の定それは「感情的な」「民衆の視点に立った」ものでしかない。 個人的に、論理も感覚のひ…

重い書き物(2.2)~脇道の続き。イスラム国関連、その他~

①自己責任。ただでさえ意味の捉えにくい言葉だが、あの2人を否定的に捉える文脈で使われる時のような用法の時、この言葉には少し新たなニュアンスが加わる。 自己責任である、という表現の言い表したいところとは、結局、勝手な個人の信念で行動し国民全体…

軽い書き物(2)

18ももうすぐ終わろうとしていて、まあといっても19になるだけなのだが、せいぜい年相応には、人生というものを考えてみたりもする。 も、というか、最近はそればかりだ。考え事は現実で生活する時間を奪う(無論勉強も含めて)。自堕落と考え事に現実の全て…

重い書き物(2.1)~ちょっと脇道に~

ツイッターにつらつらと垂れ流してしまったけど、ひとまとめにしておいてもよい文章かと思ったので、加筆・訂正を加えて書いてみます。 自分が何に悄然としているのかよくよく考察すべきだ、と思う。 僕は、同じ日本人が殺されたことへの哀しみでなく、単に…

重い書き物(2)

先日のようなことを、そもそも僕はなぜ考え始めたのだろうか。 僕は、他人に対してえも言われぬ嫌悪感を感じることがある。そして、それは自分に対しても同様であった。 それは何かと言うと、その人の行為や発言がある「善の感覚」に彩られているときである…

重い書き物(1)

『』に対する闘争、ということをずーーっと考えている。 『』とは個々の「」の重なり合ったもの、そして、「」とは個々がそれを通して現実を認識しているものである。そうして認識されたものが「現実」である。 社会とは、多数の人間の生活する時空のことで…

軽い書き物

どうにもズレている人がいる、とは我が母の弁。ズレている人間は、どうにも集団の中で生きづらく、浮いたり沈んだりしている。 自分も、ズレている人間のひとりだと思っている(それを自称する気持ち悪さを感じつつ)。 ズレている人間は、浮力に逆らったり…

他人への寛容というのは、宗教の本質ではなくて、まあ言えたとして「日本仏教の本質」または「平和の本質」では?民族的な団結の証である宗教は、民族の交流する、つまり対立する可能性のある場所においては必然排他性を持つわけだし。試してみる価値のある…

うるとら雑記雑らとるう

新年明けましてご愁傷さまでございます。門松は、冥土の旅の一里塚。本年も張り切って参りましょう。 さて、新年テンションも尽きた。ここのところ黙って曲ばかりアップしていたのでとうとう気でも狂ったかと思われて、ないか。誰も特に気にしちゃいないだろ…