わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

「ニヒルの山」 第五回

 古びた扉に手をかける。と、半開きになった段階で取っ手はいとも簡単に崩れてしまった。腐食しているのだ。
 半開きになったところから中の様子を覗き見る。誰か住んでいたとしたら、ひょっとしたら死体なぞあるかもしれない。そう考えると恐ろしかったが、臭いはただ山のそれであった。
 なんだか踏ん切りがつかない。開け放したとたんになにか現れたりしないだろうか。キツネに化かされたという話もある。タヌキか
 このままでは埒が開かない。意を決して扉を完全に開け放つ。
 一陣の風が吹き抜けた。久々に家が呼吸をした。そして、その禍々しい幸福な雰囲気を拭き消そうとしていた。
 いつのまにか時間がたっていたのか、日差しは傾き始め、といっても秋だから時間は然程遅くないのかもしれない、それが家の中を照らす。枯葉と土に浸食されて、しかも床板も腐り放題である。踏みぬかないように気をつけながら、居間と思しき部屋に踏みこむ。
 茶碗が転がっている。グラスも転がっている。そして、濁った液体の入った皿のみが静止したように置いてある。家具に見えるものはそれくらいだ。生活していたことには違いなさそうだが、これだけで生活が成り立つものか。
 そして、俺は部屋の奥へと目をやった。そこには、窓から太陽の液体の流れ込むそこには、砂の山があった。
 2つ、大きいのと小さいのである。といってもそれほど大きくはない。明らかに周囲の黒土とは違って、清廉な白い砂であった。それが、整然とふた山、細かい砂だ、時折上から下へ落ちるように見える、光を受けて、ややまぶしいくらいに光を反射して、柔らかく輝いていたのである。
 
つづく 

2013 11 8