わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

「ニヒルの山」 第六回

あれはなんだろうか。もう少し近づいて見てみると、砂の山の中央部分はへこんでいて、何かが入っている。覗きこむ。 それは目玉だった。しかも、生きた目玉だった。小さい目玉と、大きな目玉だった。小さい目玉のほうは大きい目玉を4分割したものだろうか。…

「ニヒルの山」 第五回

古びた扉に手をかける。と、半開きになった段階で取っ手はいとも簡単に崩れてしまった。腐食しているのだ。 半開きになったところから中の様子を覗き見る。誰か住んでいたとしたら、ひょっとしたら死体なぞあるかもしれない。そう考えると恐ろしかったが、臭…

「ニヒルの山」 第二回

山を登ることいくばくか。バスは山中の中途半端なところで止まって、「終点です」などとのたまう。たいがいにせいと思いつつ降りると、山鳥がちゅんちゅんと鳴き、川の流るる音がどこからともなくする。バスは行ってしまった。残されたのは俺ひとりである。 …

「ニヒルの山」 第一回

男は、悩んでいた。 彼は哀れな男だった。若くして心と体が老いさらばえて、なんだか日持ちのしない食品のようであった。 しかし、自然食品とはいかず、彼は添加物で身を飾っていた。いい加減にいい加減にしてほしいと思うのは常であったが、彼の怒りがどこ…

このブログの趣旨

小生、書き物をすること少なからず。然れどもただ漫然とネットに流すのみなれば、すなわち散逸す。小生顔本に文章をアップすること甚だ多ければ、その断片を纏めてみんと欲す。以上。 2014 4 23