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わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

【まとめ・5】 右翼的なものへの嫌悪

 右翼的なものも、最近なんだか嫌になりつつある。勿論戦前の天皇崇拝は今となってはさっぱり理解できないのであるが(天皇がなんなのかよくわからないからである)、そうでなく、単純に保守という意味合いからしても、あまり賛同できなくなっている。
 現状追認については【まとめ・3】 自己洗脳についての嫌悪で散々書いたので省略するが、この現状追認も、保守的な人びとの一つのあり方であると思う。

 この項では、以下このサイト(http://philosophy.hix05.com/Jap…/1310.maruyama/06.uyoku.html)にのっとって書いていきたいと思う。このサイトでは、右翼の特徴として、反知性主義、次いで現在至上主義というのが挙げられている。ここでの反知性主義とは僕が日頃書いているニヒリズムによって起こる現象のひとつである。現在至上主義というのはさっき書いた現状の追認に近い。現状の追認には現在に対する価値判断がない(あえて保留している)、という点が異なる。

 現状の追認という点でも嫌だが、この無意識的ニヒリズムも嫌なのである。ニヒリズムにも2種類ある、という話は大昔に書いた。ニヒリズムを思考の対象とする人(ニヒリスト(大))と、ニヒリズムを思考せずしてニヒリズムを生きている人(普通のニヒリスト)である。反知性主義は普通のニヒリストが陥るものである。問題は、普通のニヒリストたちがしばしば道徳や論理の正当性を身に纏っているところである。つまり、素晴らしい生き方だの美しい行動だの効率的な仕事だの人生は忍耐だのいろいろとのたまって、その実行っていることはただ現状の追認に過ぎないのに、その正当性でもって他人を圧迫するのである。そもそも、自分の身を正当化することはその時点ですでに押しつけがましいのであるが、その話はまたあとで書く。そういったわけで、右翼的なものも最近は嫌になってしまった。

 

2015 7 1