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わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

【まとめ・3】 自己洗脳への嫌悪(欺瞞への嫌悪のつづき)

 さて、欺瞞の不完全なりの定義は、「何らかの正当性を保証し、かつ他人(または自分)に対しその正当性に基づくよう押しつけるものに対し、それを受け入れさせる(または受け入れる)こと」であった。この定義の括弧内の方は、いわゆる自己洗脳というものに該当する。
 もちろん道徳をはじめとした「一般的な意味での」洗脳行為にも勝手にカッカしているのではあるが(これがさっぱり理解されないことは承知している)、自己洗脳の行為の方にはそれにも増してかなりカッカしている。
 自己洗脳というのは、簡単に言えば現状の追認である。現状こういった道徳があり、こういった論理があり、こういった状況で、こういった現実です。だから、こうした既存のものにはやく馴染むように努力しましょうねー、という路線である。現実とは変更不可能なものであるという認識をかなり多くの人が持っているからこんな考えになるのだろうが、その実、人間が現状を追認することによって、その現状は強度を増しているのである!それをかつて「」について書いていたときに僕は「なぞる」と表現したが、まさに、こうした現状の追認によって枠組みはなぞられ「さらに色濃くなり」補強されていくのである。
 もちろんひとりの人間がその現実にそぐわなかったからといって、現状の強度に対する影響は微々たるものである。というか、まったくない。反対にはある程度の人数が必須要件である。だからといって、現状を追認しないことがまったく無意味であるとは思われないし、寧ろ現状を追認することによって致命的な事態、たとえば、どうにも勝ち目のない戦争を始めてしまうような事態を将来作りだしてしまうことを、僕は大変危惧している。僕が危惧したって一向にどうしようもないのであるが、とにかく危惧している。

 これはかなり左翼的な思想と親和性があると思う。左翼=革新という図式を全面的に信用すれば、さもありなん、という感じである。

 

2015 7 1