わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

加速する現代社会について(全文)

音楽を作っていてもよく感ずるところではあるのだけど、(おそらくどの分野にも通ずることだと思う)、人類のあゆみの積み重ねが膨大なものであるというのは周知の事実であって、しかしこのことがもたらしている事態というのに無頓着な人間が多いように思う。
というのは、歴史が積み重なっていくに従って当然新たな発明や発見というのも蓄積されていくのだけど、その量が増えれば増えるほど、その全体を把握するのが困難になってゆくということだ。
数学かなんかをやっていてもわかるけど、公理や基本的な定理の証明からきっちりとこなしていくには、非常に大変な時間がかかる。ひとつの分野ですらこの様子であるから、世界全体のことなど何をかいわんや、である。つまり、時代を追えば追うほど、世界の全体像をつかむのは困難になっていく、言い換えれば、ひとりの人間に認識される世界がより局所的に、より専門的になっていくということだ。
このことが何を引き起こすかといえば、純粋に、世界を見渡せる人材というのが少数に限られてくるということだ。さまざまな分野が、同時進行で、それぞれの専門化されたプロセスで進行していく。これらを認識し、掌握して、正しい判断をくだす。このことがどれほど難しいことか。そして、少数のそういったことのできる人間が世界を掌握し、一般大衆はそれぞれの狭い庭の中で踊らされるのみ、そういった世界になりかねない。いや、確実に近付いているのではないか。
この時代の流れに追いつくべく、技術の方もだいぶ進化を遂げた。インターネット文化は間違いなくその先鋒であろうし、僕のあずかり知らぬところで、日々今まで考えられなかったようなものが産み出されている。時代はどうも加速しているように思える。
やはりアナログ人間としても、このような時代の流れを意識するならば、最先端のテクノロジーを等閑視するわけにはいけない。もちろん、このようなことを無視する生き方だってある。しかし、ネットを使ってアクティブに活動している人たちには、このような話題は当然意識されて良いことがらのように思えるのだ。
では、かくも生きにくい世の中において、どうにか支配をまぬかれて生きるにはどうしたらよいか。とても僕に結論の出せる話題ではないし、少々門外漢が出しゃばっている感もある。わかっていたら苦労はしないのだが、とりあえずは、このような世界であるということを意識することから始めてはどうだろうか。流れに敏感になるということが肝要であるように思われる。歴史の勉強をしていると、社会の情勢というのは、気付いた頃にはすでに歯止めの利かなくなっていることが多い。いかに早く、それに気付けるか。それが、加速する現代社会に流されないためのポイントなのではないだろうか。

 

2013 7 29