わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

一部訂正:武藤貴也氏のツイッターに関する記事について

 昨日投稿した記事についてですが、本日武藤氏のブログ

「国民に課せられる正義の要請」|武藤貴也オフィシャルブログ「私には、守りたい日本がある。」Powered by Ameba

が更新されるとともに、一部に誤りのあることがわかりました。お詫び申し上げます。

 

 端的に言えば、私も私で誤読をしていたのだった。というのは、

・大半の人間は誤読している。

・「戦争に行きたくない」ことが「利己的」なのではない。「だって戦争に行きたくないじゃん」が理由として不適切である、ということだ。

まではおそらくこれで良いのだが、

・「戦争に行きたくない」理由が「だって戦争に行きたくないじゃん」である、ということが「利己的」だとしている。

という点が間違っていた。武藤氏のブログを読めばわかるように、正しくは

・「安保法案に反対する」理由が「だって戦争に行きたくないじゃん」である、ということが「利己的」だとしている。

である。

 

 結局「戦争に行きたくない」という感覚を「利己的」として否定していることには変わりないのではないか、という声も聞こえるが、私個人としては完全に重なり合うようには思われない。詳細は長くなるので次の投稿に回します。

 

 自分の誤読を棚に上げるわけでもないが、おそらく武藤氏の主張がほとんど全員に誤解されて伝わっている現状を見れば、武藤氏の舌っ足らずを指摘しても異論はないと思う。それに加え、「戦争に行きたくない」「利己的」というセンセーショナルな言葉に脊髄反射的に反応してこれでもかとよってたかって叩く人びとにも問題はあると思う。相手の意見を理解せずに、ひたすら相手を潰すことばかりを考えているように見えて、もう少し冷静な議論は出来ないものかと思ってしまう。問題は、私にも、武藤氏にも、そうした人びとにもある。

 だからこそ、ほとんどが武藤氏のツイートそのものはもう置き去りで、ブログ等に遡り彼の思想を叩くようになっている現状において、なおも彼のツイートの主張を(その背後にある主張ではない。そのツイートだけから読みとれることである。)正しく理解しようと試みているのである。相手の主張を正しく理解することから議論を始めたい。そうしないと、延々食い違ったままで、双方の関係は険悪になる一方で、しまいにはどちらの望むことも達成されないのではないか。そうすれば、信条関係なく、我々全員にとって不幸な事態であることは明白である。お願いだからまともな議論をして欲しい。

 

2015 8 3