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わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

新幹線放火・焼身自殺事件に見る、自殺に対する世間の目

 同じ題材を、違った視点から見ていこうかと思う。

 巻き込まれた女性のことが、だいぶ感傷的に取り沙汰されている。一方、焼身自殺した男性については、故人に対するものとは思えないほど、冷たい。

 報道もコメンテーターも、視聴者も、巻き込まれた女性に感情移入している。この一見について、自殺の可否という話は特に出ていないように思われる。ただ、他人を巻き込むな、という論調は目立っているように思われる。

 

 以上の要素を挙げた上で考えていきたいのだが、やはり、自殺に対して、少なくとも報道を作る際には被害者側に立って目を向けているのだな、ということに気づく。焼身自殺した男性の理由がよくわからないことも一因ではあるが、男性の自殺に同情する向きは今のところ目にしない。

 これがたとえば若い女性であれば、また論調は変わったかもしれない。しかし、それはいかにしても推論の域を出ないので差し控えることにする。

 思うのだが、この件は、特に良い人間や悪い人間がいたわけではない気がするのだ。男性は果たして他人を巻き込むことを想定していたであろうか?新幹線で自殺を図った理由は未だ謎である。しかし、他人もろとも死んでやるというのでない限りは、たとえば自爆テロと同列に見ることはできない。

 ところが、「死ぬときに他人を巻き込むな」というのは、自爆テロに対するときの批判と同じ発言ではないか?そもそも、多かれ少なかれ、自殺というのは他人を「巻き込んで」いる。自殺すれば家族や友人が悲しむ。中には当人の後を追ってしまう人も出てくるかもしれない。やり方によっては肉片が飛び散り、それを回収する人間にも心的ストレスがかかる。これらは、自殺によって他人を巻き込んだとはいえないのだろうか?

 

 結局人びとは、自殺という根幹的な倫理問題が横たわっているのに、それを解決しないまま、不幸にも巻き込まれてしまった女性に感情移入し、あるいは男性を攻撃することによって表面的な解決を図っているのではないだろうか。そもそも、仮に男性が生き残って罪に問われたとしても、かなり致死率の高い形で自殺を行っているのだから、立派な心神耗弱である。心神耗弱の人間の行った殺人に関する議論など、この件から提起した人間はいるのか。問題は根深い。

 繰り返すが、おそらく本人は他人を巻き込むことなど想定していなかったのであり、その判断能力さえ有していなかった可能性が低くない。更に、仮に巻き込もうとしていたとしても、それは心神耗弱という状態で行われた可能性が低くない。そうした上で、「他人を巻き込むな」という批判は当たるのだろうか?あまりに考えの足りない批判であるようにしか思われない。そして、それは単純な善悪二元論に落ち着かせてこの件を一件落着させようとしているかのように見える、世間の人びとにしてみても同様である。

 

2015 7 1