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わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

新幹線放火・焼身自殺事件の報道・コメントにまつわる違和感

 どうにも違和感がある。今日、フジテレビでいくつかのニュース番組を見ていて、焼身自殺をした男性について、コメンテーターが「許し難い」「れっきとした殺人である」というコメントを発していた。当然これは自殺という行為そのものに対する賛否ではなく、他人を巻きこんだことに対する批判なのであるが、そのことを踏まえたうえでも、なお自殺した男性のことを悪しざまに言う気にはなれない。

 

 もちろん巻き添えを食った女性は気の毒である。殺人であることにも異論はない。異論があるのはその背後にある非難のニュアンスである。元来、日本という国は「死人に口なし」という認識のもと、「死屍に鞭打つ」ようなことはしなかったはずである。

 要するに、元来の考え方に基づけば、コメンテーターは何一言言えないはずなのである。これは良い悪いの問題ではなく、ただそこに死体があるのみである。それなのに、軽はずみに男性を断罪してしまうのだとしたら、なんのためのコメンテーターだ、という話である。これが、この件に関する違和感である。もちろんコメンテーターが男性を断罪すること自体には良いも悪いもないのであるが、一方で、コメンテーターの無能、あるいはポピュリズムという問題が抽出できる気もする。

 

 ちなみにではあるが、男性は流しのギタリストであったという報道、それと対比するかのように、女性の清楚な暮らし向きの報道、これらを見て、なんとなく、(この件の)男性は悪、女性は善、という単純な善悪二元論に持っていこうとしているようにも見えた。男性の自殺は「身勝手である」というコメントもあったが、これがそのまま男性の生前の暮らし向きのイメージと重ね合わせられて一緒に断罪されるようであれば、あまりにがさつで無思考な報道ではないか、と言わざるを得ない。

 

2015 7 1