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わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

民主主義における「無知の知」

(雑なあらすじ:日本の民主主義ってクソだよね=日本人って政治に興味ないし、政治を知らないよね→日本人うんぬんというか、そもそも政治家より政治を知るって無理だよね→じゃあその「無知」を前提として政治を考えた方がいいんでないの?)

 民主主義というのは、こと日本においては、はっきり言って破綻している政治体制なのではないか。これを言いきるのに疑いとためらいがあるにも関わらず言いきってしまうほどの門外漢であるが、最近強く感じることである。
 どの点が破綻しているか。普通の人びとが政治をやっているという自覚がない、この一点に尽きると思う。そもそも政治に興味がないし、選挙の季節になってもなんとなく良さそうな候補や政党に投票するか、投票さえしないかという人が多いのではないか。それでいて、現行の政治に文句ばかり言うというのであれば、誰の目から見ても矛盾している。

 しかしだからといって、政治に興味を持て、と言うのも最早難しい気がしているのだ。その理由はいろいろ挙げられると思うが、結局政治の優先順位が低い、つまり、政治に割く時間なんかないし、持とうとも思わないよ、ということなんではないかと思っている。

 ここまでずっと推論である。ただ、このように、民主主義の国であるにも関わらず、おおかた民衆は政治に関わろうとせず、その理由がそもそも政治に興味がないということであれば、以下の話がひょっとすると役に立つかもしれない。

 政治に興味がなければ、当然政治の勉強もしない。政治家は自分(たち)の利益となるように民衆を扇動するし、民衆はそれに抗する手段がない。だからといって扇動に背を向けて投票をしなければ、扇動された民衆の票がますます割合を占め、事態はますます扇動主の思うがままである。こうなると民主主義は悪い方に転がるばかりである。
 そう、政治家でもない一般大衆にとって、政治など「わからん」のである。それはいくら勉強したって同じ事である。政治家の深謀遠慮がどのようなものであるか、そもそも深謀遠慮など存在するのかすら、さっぱり「わからん」のである。「わからん」から政治に興味がなくなる。興味がなくなるから余計に「わからん」になる。見るからに美しい悪循環ではないか。

 さて、これは民主主義という体制そのものの問題である。民主主義はそもそも、「民」が政治を語るのに充分な知識を所有している、ということを前提にしている。しかし、「政治を語るのに充分な知識」とはいったいどの程度のことを指しているのか?それは本当に「民」に得られるものなのか?

 長くなったが、そこから考えたのが、寧ろ民衆の無知を前提とした民主主義の形を模索したらどうか、ということである。現状、やる気のある人間ですらどうしても、中途半端な知識で政治を語るということになってしまう。

(雑なあらすじ:日本の民主主義ってクソだよね=日本人って政治に興味ないし、政治を知らないよね→日本人うんぬんというか、そもそも政治家より政治を知るって無理だよね→じゃあその「無知」を前提として政治を考えた方がいいんでないの?)

 民主主義というのは、こと日本においては、はっきり言って破綻している政治体制なのではないか。これを言いきるのに疑いとためらいがあるにも関わらず言いきってしまうほどの門外漢であるが、最近強く感じることである。
 どの点が破綻しているか。普通の人びとが政治をやっているという自覚がない、この一点に尽きると思う。そもそも政治に興味がないし、選挙の季節になってもなんとなく良さそうな候補や政党に投票するか、投票さえしないかという人が多いのではないか。それでいて、現行の政治に文句ばかり言うというのであれば、誰の目から見ても矛盾している。

 しかしだからといって、政治に興味を持て、と言うのも最早難しい気がしているのだ。その理由はいろいろ挙げられると思うが、結局政治の優先順位が低い、つまり、政治に割く時間なんかないし、持とうとも思わないよ、ということなんではないかと思っている。

 ここまでずっと推論である。ただ、このように、民主主義の国であるにも関わらず、おおかた民衆は政治に関わろうとせず、その理由がそもそも政治に興味がないということであれば、以下の話がひょっとすると役に立つかもしれない。

 政治に興味がなければ、当然政治の勉強もしない。政治家は自分(たち)の利益となるように民衆を扇動するし、民衆はそれに抗する手段がない。だからといって扇動に背を向けて投票をしなければ、扇動された民衆の票がますます割合を占め、事態はますます扇動主の思うがままである。こうなると民主主義は悪い方に転がるばかりである。
 そう、政治家でもない一般大衆にとって、政治など「わからん」のである。それはいくら勉強したって同じ事である。政治家の深謀遠慮がどのようなものであるか、そもそも深謀遠慮など存在するのかすら、さっぱり「わからん」のである。「わからん」から政治に興味がなくなる。興味がなくなるから余計に「わからん」になる。見るからに美しい悪循環ではないか。

 さて、これは民主主義という体制そのものの問題である。民主主義はそもそも、「民」が政治を語るのに充分な知識を所有している、ということを前提にしている。しかし、「政治を語るのに充分な知識」とはいったいどの程度のことを指しているのか?それは本当に「民」に得られるものなのか?

 長くなったが、そこから考えたのが、寧ろ民衆の無知を前提とした民主主義の形を模索したらどうか、ということである。現状、やる気のある人間ですらどうしても、中途半端な知識で政治を語るということになってしまう。まあ「無知の知」というのも本来の使い方とは違うが、どうしても知識が及ばないという事実を前提として、どのように民主主義を運用できるか、あるいは、他にどのような政治体制が可能かということを考えることが、今後の日本の政治を少しでもマシにするために必要なのではなかろうか。

2015 6 21