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わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

雑記、日記

 部屋で寝ていたら、「このまま寝てたら明日以降考え事を口実に予備校を休むのを許さないよ云々」というやうなことが夢の彼方から聞こえてきて、現実世界ひいては夢想世界における生存権を脅かされた私は一時的に現実世界に復帰せざるを得ず、したがって(?)、かくなる日記を認めることとなった。

 近日の私の動向を具さにでなくとも見ていた人間がいたとして、私のことを一介の駄目人間と看做すであろうことは容易に想像がつくし、そのお目々に狂いはないと私が自信をもってお薦めするシェフの逸品。

 7月には急激に軸足を現実世界に移すことになるらしい。6月は最後の一カ月だ。夢想世界を発つため、身なりを整えたり荷物をまとめたりしなくてはならない。その準備のために、あまり夢想と戯れてばかりもいられない。尤も、その準備とやらが間に合うかは甚だ不明瞭であり、間にあわずフライトが欠航した場合には現実世界の私の生存権は結構な確率で失われることになる。

 駄目人間が駄目人間に自覚的になりそれがために自らの身を引っ張り下げやつすことは、自堕落が真の意味で堕落することを意味する。自堕落が享楽主義的であるうちは幸せ者だ。自堕落が内省とともにあっちゃやりきれない。日本人は得てしてこうした自堕落に陥りやすいようだ。若しくはモスクワあたりにもそんな人はいるのかもしれない。

 口ぶりも文体も他人に影響されるところが大きい。口ぶりは今向井秀徳の影響を脱しつつあるが、昔は宮本浩次であったりロバート・フリップであったり、ともかく見境がない。一方文体は辻潤安部公房(主に物語を書くとき)の2人に昭和軽薄体が少し入ったぐらいのもので、こちらはこちらで狭すぎるというか、もっと他のも読んだら?という感じだが、特に辻潤に至っては生活の根幹にまで影響を与えているものだから性質が悪い。
 自分の「文体」を持つというのは難しい。音楽を作るときだって歴史的な影響は免れ得ないのであり、この曲とはあれが違う、あの曲とはこれが違うと逃げ回っているうちに、まあいいか、と許容できる程度のアイデンティティは持った作品になるという塩梅で、別段悪いこととも思っていないが情けない限りである。

 

2015 6 14