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わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

ニヒリズムの表明 その1~ニヒリズムとは何か~

 僕は、主張として一応ニヒリズムを掲げている。しかし、そういえば、その実態や、詳しい内容についてはあまり他人にしゃべっていなかった。まあ主張というより考えるクセのようなもので、曲を作る時にも文章を書く時にも(それこそ今だって)そこはかとなく滲みだしているものではある。

 

 ニヒリズムとはなにか、というと、例によって難しい。僕の手元にある「虚無思想研究(上)」という本は、中三の時分に開成の文化祭の古本市で手に入れたものだが、僕のそれまで考えていたことをニヒリズムという名で結実せしめたという点で、この本のもたらした影響は極めて大きい。
 さて、この本には戦前から戦後すぐにかけての、ニヒリズム的思想家たちの文章が収められている。特に、戦後すぐの文章は、価値観が大きく変動した時代に、リアルタイムでニヒリストたちがどのような感想を持ったか、ということの分かる良い資料である。
 その中でも、特に僕に影響を与えたのが辻潤という男の文章である。この男、奇遇にして開成出身である。学費が続かず退学したそうで卒ではないのだが、出身として問題はないだろう。辻潤の文章には、自堕落の臭いが強く読んでいて気が滅入る面もある一方で、どこかやけっぱちの明るさというものも感じる。絶望した折には救いになるが、希望はすっかり閉ざされてしまう。まさしくニヒリズムのようなものだ。僕の最も影響を受けた文筆家と言えば辻潤ということになろうし、文章にもおそらくそのクセが色濃く反映されていると思う。

 

 さて、改めて、ニヒリズムとはなにか。ニヒル(nihil)とは、ラテン語で「無」のことである。 nihil specto. で、何も見てないよ。ということらしい(ウィクショナリーより)。へえ。直訳すれば「無主義」である。これでは、無の主義なのか単に主義が無いのかよくわからない。
 ニヒリズムとほぼ同義の言葉に虚無主義という言葉があり、ニヒリズムの周囲にはダダイズムアナーキズム、自堕落や放蕩というような言葉が転がっている。ニヒリズム虚無主義の違いについて滔々と述べたてている文章もあるが、そもそもニヒリズムの訳が虚無主義なのだから、どうにも、といった感がある。
 周囲に転がる言葉を含め、それらの共通点とはなにか、と考えた時に、既存の枠組みの否定、という特徴が見えてくる。ニヒリズムは、わかりやすく言えば「一切皆無」であり、ダダイズムニヒリズムを根底にして既存の形式や美学をぶち壊した芸術運動である(のちのシュルレアリスムにつながっていくらしい)。自堕落や放蕩というのは、いずれも既存の価値観を否定し、行動にも反映させず、快楽に任せた生活を営む、ということであり、これはニヒリストが現実に取る行動として最も多い。消極的な人生と言えば、まあ、そうとも言える。

 

 ニヒリズムとして有名なのは、ニーチェの唱えたニヒリズムであり、彼はその筋の人からニヒリズムの父祖とも呼ばれているらしい。「神は死んだ」というやつである。キリスト教倫理が実質否定されているような現状を指してそう表現したそうだが、ほんとのところはよくわからない。ともかく、ニーチェは、人々の間に倫理が衰え、頽廃的になっているのを嘆いて思想を展開し、ニヒリズムの超克を目指した(→超人思想)というのは間違いなさそうである。
 しかし、日本のニヒリズムには、当然キリスト教はなんも関係がない。キリスト教と一般の日本人との関わりは精々がクリスマスかエホバの証人程度だが、日本人にもニヒリズムはしっかり根付いている。そこら辺は、長くなるので次回に回したい。それでは。

 

2015 4 13