わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

幻想小説「現状」 第四話

 これは今日は寝られないな、と、一日一回入る水槽に身を浸しながら僕は思った。

 

 そもそも人間はそんなバラエティ豊かな水槽の入り方などするはずがない。せいぜいが入浴剤で気分を変えるか、時折バラだの泡だの浮かべてみたりするくらいで、そんな風流な習慣もないし、まして烏の行水を旨とする行水istな私としては、物思いに耽ってでもいない限り、さっさとあがってしまうのが常なのである。しかし、そんなことを言ってもはじまらないし、小説の字数稼ぎにはなっても、内容はまったく進展しない、と、自分のポッコリが腹を水面越しに見つめながら思うのである。ポッコリが腹がでっぷりが腹やぼんよりが腹にならないように努めるのがこの一年の努力目標である。

 

 閑話休題。というか、もとの閑話に戻る。今日寝られないのは、後輩にあてつける台本を書くためであったり、収拾部隊のためのまとめを更新しなくてはならないためであったり、要するにいろいろとしなくてはならない書き物が溜まっているためである。この一年は天から与えられたヒマである。ヒマをするためのヒマなのか。ヒマ以外の何かをするための偽装されたヒマなのか。神の味噌汁。つまり僕にはわからない。ところが、ここんところはヒマさえない。別に自分の好きでやっているので文句もないが、この期に及んで忙しいというのも、ちょっと自分がロマン主義過ぎて、なんかアレである。僕の抱く懸念は悉く妄想的な夢のような懸念であり、通常大衆が抱いている現実的な懸念とはさっぱり違うのではないか、と思う。この世界は僕の世界ではない。foreigner、つまり、お尋ね者、じゃなくて、よそ者である。いつから身体が浮き上がったのか。山に向かって叫んでも、ニンフの木霊が気持ちいいだけ。海に向かって叫んだら、それは、生みのバカヤロー、ですか。

 

2015 3 24