わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

氷水をおっ被るの件

 ALSという病気の支援のため、氷水を被ったり寄付をしたりするのが流行っているらしい。ALSという病気は奇しくも(?)NHKの特集で知っていたのだが、最近そんなにメジャーになっているとは知らなかった。ともあれ、治療法のない光明のない状態から、少しでも事態が進展すれば良いと思うし、キャンペーンのやり方としては、まあ当世風だなというか、うまいことやるなぁ、というくらいである。

 しかし、このキャンペーンはこれでいいのかしら、と思うところもある。
 まず、ALSだけが取り上げられるという状態に違和感がある。(表現的にどうかと思うが)便宜上「奇病」という表現を使えば、ALSも「奇病」のひとつであり、それでは他の「奇病」は良いのか、という疑問が湧いてくる。そして、それら「奇病」の問題点とは、患者の絶対数が少ないがゆえに、発言力が限りなく小さい、という点である。そこにALSだけが取り上げられ少なくとも話題的金銭的に「奇病を脱する」ことによって、却って他の「奇病」のそうした問題点を増長させてしまうのではないか。
 では、ほかの「奇病」も、ALSと同じようにすればいいじゃないか、と思う。ところが、世に数多ある「奇病」をすべて取り上げると、もっとメジャーな病気(ガンとか)に対する対策が不足してしまうのではないだろうか。もしそうだとすれば、「少しでも多くの命を救う」という医学の原則に反しやしないだろうか。

 それにしても、おっ被っている人たちはみな「無邪気」である。その「無邪気さ」を微笑ましく思う反面、無為なムーブメントがどんな効果をもたらすかについては、特に考えていないようにも見える。善意という幻は最大の恐怖であり、「行動的な人達」によって容易に加速し、場合によっては取り返しのつかない結果を招く。そこらへん、「考えるばかりで何も行動しない人達」の存在意義が問われている、のかもしれない。

 

2014 8 22