わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

かさぶたのような

http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

開成の海外留学のグループ(?)でシェアされていたものを貼り付ける。

書き手は校長という立場にあるから、僕の言うことは甚だ御門違いかもしれないが、少し黙っていられないのか、と思う。

震災直後、卒業式が中止になった(或いは卒業式を中止にした)のだろう、その折にふれての、いわば「式辞」である。

確かに字面はきれいだ。内容も美しい。しかし、これは過度に美化され過ぎている。それは虚妄だ。現実に対する誠実さを感じない。善良すぎて、嘘である。
震災に対して、僕には何かリアクションを起こせるほどの強さ(甚だ気持ち悪い言葉だが)はなかった。いや、誰においてもそうだったのではないか。震災直後にしたことは、黙して見ることだけだった。恐怖から発生した軽挙妄動のすべてが、脊髄反射でなくていったいなんだろうか。ましてやそこに「美徳」を見出すのは、全く自己欺瞞に他ならない。

この時期に、こんなにきれいな文章を書けるというのは、不可解であると言うほかない。

 

2014 11 21