わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

重い書き物(2.1)~ちょっと脇道に~

 ツイッターにつらつらと垂れ流してしまったけど、ひとまとめにしておいてもよい文章かと思ったので、加筆・訂正を加えて書いてみます。

 自分が何に悄然としているのかよくよく考察すべきだ、と思う。
 僕は、同じ日本人が殺されたことへの哀しみでなく、単にひとりの人間の死の瞬間を思い描いて、悄然としているだけかもしれない。自分が自分でその人生を振り返る時を。ぼんやりと想像したって、やはり悄然としてしまう。
 むしろ、僕には日本人という括られた人間たちのことをうまく想像できない。外見や考え方の似たような人たち、というぐらいにしか。ただし、異国人、フランス人であったり、アメリカ人であったり、が殺されたというよりも、やっぱり想像はしやすい。
 考えていたであろうことが、なんとなくにせよ、確証はまったくないにせよ、分かるような気がするからだろうか。だから、義憤なんて素敵な感情は浮かんでこないで、ただしょんぼりしているだけなんだろう。

 そもそも、義といった類のものを、自分の中から積極的に捨て去るのが最近の趣味であり。だから、いつのまにか人でなしになってしまっているんじゃないかと、どこかで大変な不安を感じている。

 

2015 2 2