わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

他人への寛容というのは、宗教の本質ではなくて、まあ言えたとして「日本仏教の本質」または「平和の本質」では?民族的な団結の証である宗教は、民族の交流する、つまり対立する可能性のある場所においては必然排他性を持つわけだし。
試してみる価値のあることだとは思う。しかし、最終的には宗教の持つ排他性と対立して、うまくいかないのではないかなぁ、とも思う。もしそれで世界の宗教を責めようというのなら、それはそれで思い上がりも甚だしいというかなんというか。


「クリスマスと正月が同居する日本」に世界の宗教家が注目! 寛容の精神に見る、宗教の本質とは | ログミー[o_O]

 

2015 1 13