わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

うるとら雑記雑らとるう

 新年明けましてご愁傷さまでございます。門松は、冥土の旅の一里塚。本年も張り切って参りましょう。

 さて、新年テンションも尽きた。ここのところ黙って曲ばかりアップしていたのでとうとう気でも狂ったかと思われて、ないか。誰も特に気にしちゃいないだろ。

 恨むべきは変わり身の速さだな、と最近思う。昔は、テレビなんかでいわゆる綺麗言を誰かさんが言っているのをみると「うそつけぇ」と思っていたもんだが、どうも嘘でもないんだね。その時は本気なんだな。まあものにもよるけど。僕はだめだ。頑固なもんで。

 「現実」と現実があるのだと思う。「」は枠組み。人間は、現実における生活をより快適にするためにさまざまな「」を開発した。しかしそれに囚われるのは愚かなもんじゃないかとも思うんだけど。
 「」の強度は人々のつながりの強さ。人々がどれだけ「」を信じるかによって、「」の強度も変わってくる。「」を疑う人間は、いきづらいよ。

 目の前の「現実」にかまけて、現実を見ないのは、愚だよと言ってみても、誰も聞いちゃくれないし、なあんもはじまらないんだなあ。こんな「現実」に生きるのは、あー、やだやだ。

 「」が嫌なら、「」を少しでもほぐす作業に従事してみてはどうだろうか、と最近思っている。柔軟性を取り戻す、ね。それも、僕がまったくフレキシブルじゃないからやってみようなどと思うのだ、というところが、こっけいでこっけいで。

 

2015 1 7