わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

「ニヒルの山」 第六回

 あれはなんだろうか。もう少し近づいて見てみると、砂の山の中央部分はへこんでいて、何かが入っている。覗きこむ。
 それは目玉だった。しかも、生きた目玉だった。小さい目玉と、大きな目玉だった。小さい目玉のほうは大きい目玉を4分割したものだろうか。黒目の中心で十字に割ったようだ。しかし、なぜ目玉は生きているのだろうか。
 と、なにかが視界を横切った。それは二つの目玉に落ちていった。見上げると、腐った木が傾いでいる。屋根裏のような構造だったのだろうか。そして、その木を伝って、もう次の滴が徐々に端に集まり始めている。なるほど、上から与えられた水によって、目玉はその生命を永らえていたのである。
 改めて目玉を見る。グロテスクさに対する恐怖が今更ながらに迫ってくる。しかし、美しくもあった。これはいったい誰の目玉だろうか。この家の主か。
 もう少し近づく。どこからか木の軋む音に驚く。砂の山に周辺の床は腐敗が進んでいて、軟らかさはもはや木のそれではない。引っ掻いた跡だろうか。周辺の壁には無数の鋭い縦筋が入っている。

 そして、俺は大きな砂の山へと、手をのばした。

つづく

2013 11 24