わたしはあなたのなんなのだ

あの記事この記事、なんの記事?散逸した記憶の集合体。ニヒリズムの立場から論ず。

2015-03-10から1日間の記事一覧

軽い書き物(3) ~重い書き物(3)の前座というか準備~

欺瞞がとにかく大嫌いなのである。それはトラウマ的恐怖にも似た感覚である。いったい僕の幼少期に何があったというのだろうか。 人々は「」を有していて、『』(=社会の枠組み)に近づけるのが大人になるということかもしれない。社会に限らず、なんらかの…

重い書き物(4)

前回「影響欲」についての話を振って終わってしまったが、今のところとくに見解はない。且つ、僕の中にそのような欲が強くあるとも思われない。あるとすれば、他人を自分に近づけて、自分の居心地を少しでもマシにしようという儚い努力であって、それをせん…

重い書き物(3)

生きている以上、どうしようもないことというのは必ずあるらしい。幼児的全能感という言葉がある通り、幼いころは「何事も自分の思い通りにできる」という錯覚を抱きがちであるそうだ。それが、大人びるにつれて、「どうにもならない、どうにもできない」と…

卒業に至りてバカをやらかす

この期に及んでバカをやらかす バカをやらかしてしまった。卒業文集には「たる砂漠 ほか3編」とある。つまり、文章塊が4つばかし載っていなくてはならないのだが、3つしか載っていない。つまるところ「ほか」と「全」の使い分けをうっかり間違えたのであ…

東京大空襲の日にあたって、戦争教育について

東京大空襲の日だということで、朝日新聞の天声人語にも、例によってそれらしいことが書いてある。 朝食(昼食?)を食べながらそれをぼんやり眺めていたのだが、案の定それは「感情的な」「民衆の視点に立った」ものでしかない。 個人的に、論理も感覚のひ…